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Diamond Head – Leahi(レアヒ)

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ダイヤモンドヘッドは、オアフ島が誇るハワイのシンボル。ホノルル空港に降り立ってダイヤモンドヘッドを遠くに見ると、「ああ、ハワイに(帰って)来たなあ」と思います。

 

遠方からみるとダイヤの指輪のように見えるから、ダイヤモンドヘッドと呼ぶのであろうと、私は長い間勝手に思っていました。ある日、ダイヤモンドヘッド記念公園の看板をじっくり読んでみた所、名前の由来は、「英国人の船乗りが、クレーターを登っている時、ダイヤモンドのようにきらきら光る石(方解石の結晶)を見つけた事が発端」と書いてありました。この水兵さん、「やった!これで俺も水兵なんか引退して、左うちわだ」と、一瞬大喜びしたんでしょうね。残念でしたぁ~。

 

しかし、この水兵さんがやって来たのは、1825年とありますから、ダイヤモンドヘッドと呼ばれるようになったのはたったの200年ちょっと前。何千年もの間、ハワイのネイティブたちは、この死火山を、レアヒ(Leahi)、つまり、「アヒの頭(または背びれ)」と呼んできたそうです。そういわれてみれば、ダイヤモンドならぬ、巨大なマグロの頭と背びれとに見えなくもないですね。またレアヒとは、「火の輪」という別の意味があるという説もあります。ダイヤモンドヘッドの峰頂に火を灯し、沖合のカヌーたちに行く先を知らせる、灯台の役目をした所から出た名前だという説です。ダイヤモンドヘッドは、上空から見ると分かりますがほとんど円形に近いクレーターですから、尾根に火を灯せば、火の輪になったんですね。これはダイヤモンドヘッド灯台の説明書きに書いてありました。どちらにしても、ホノルルに君臨するダイヤモンドヘッドの存在は、世界に名だたる確固としたものです。

 

このダイヤモンドヘッドとワイキキを眼下に見る美しい高台に、「レアヒ病院」という古い病院が、ひっそりと建っています。観光客人気のファーマーズマーケットが開かれるKCCの、すぐ向かい側にある病院です。道を挟んだ隣とはいえ、土地っ子でも、古ぼけてくすんだ色の病院に注意を払う人は、そう多くいません。

 

レアヒ病院は1901年の建立と言いますから、100年以上経た古い病院です。建立期にちょうどチャイナタウンでペスト疫病が蔓延し、60人からの死人が出たそうです。チャイナタウンは一時閉鎖となり、町の1区画ほとんどが焼き払われたという記録が残ってます。その時、死人や、助かる見込みのない瀕死の患者を一時収容したのが、町の向こうのこの病院だったそうです。その後レアヒ病院は、結核のサナトリウムとして、また末期患者や回復するチャンスのない人々の最期の場所として、ダイヤモンドヘッドの陰に静かに存在してきました。レアヒ病院は、絢爛たるダイヤモンドヘッドとワイキキビーチの脇で、ホノルルの姥捨て山的な役割を果たしてきたようです。

 

私はこの病院で、大腸癌末期の日系人女性にお会いしたことがあります。ホスピスのボランティアの仕事での事でした。骨と皮だけになってしまっていましたが、ショートの白髪の下の目がいたずらっぽく、初対面では好奇心のかたまりという印象を受けました。食べ物は口を通さず、すべて直接管で体に入れるという状態でした。私が日本人であることが分かると、九州からの移民の両親の話や、8人兄弟の末子だった生い立ちなどを、懐かしそうに話してくれました。時々英語での会話に「ナカバイ」なんて九州弁の日本語が混じったりしました。

 

「今日はどんな天気?」私が入って行くと、いつもニコニコとして聞きます。体の衰弱が激しくて、数歩離れた窓の外を見ることもできない状態だったからです。
「ダイヤモンドヘッドがくっきりと見えて綺麗ですよ」と返事をすると、遠くを見て、
「きれいでしょうねえ。ビーチもきっととっても綺麗でしょうね」と言います。

 

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小さい頃真珠湾の浜辺で、貝や小魚を素手で採ったという幼い頃を思い出していたのでしょうか。娘時代に働いたダウンタウン地区の活気を思い起こしていたのでしょうか。大工だったお父さんは、真珠湾攻撃後、オアフ島内のクニアという僻地の収容所に連れて行かれ、しばらく帰って来なかったそうです。子沢山で貧しい移民の生活だった事、自分の世代は日本人どうしの結婚が当たり前だったけれど、姪甥達の世代はいろいろな人種の伴侶をみつけて「チャプスイ」になっている事、折角育てた一人息子を、オートバイ事故で20歳前に死なせてしまった事など、いつも淡々と話をしてくれました。

 

「私はもうすぐ死ぬんですよ」
ある日私が入っていくと、患者さんは何事もないように言いました。どう応えたいいか分からないでいる私に、にっこりと笑いかけると
「心配しなくて大丈夫。死ぬのはこの体だけだから」と言います。
「海の向こうに行くんですよ。そこからは昔のままの真珠湾もちゃーんと見えるんです。日本のキュウシュウで眠っている父母のお墓も見えますよ」

 

それからしばらくしてこの患者さんが亡くなってから、アヒの背びれのダイヤモンドヘッドが、私には少し違った意味を持つようになりました。ダイヤモンドヘッドを見上げる度に、つい尾根の後ろに佇んでいるレアヒ病院を見ている自分に気が付きます。ああ、あの患者さんは、息子さんと再会できたのかなあ、あっちに行っても、九州弁混じりの英語を話しているのかなあ、なんて。そして、あちらの海からダイヤモンドヘッド灯台の燈がはっきり見えているといいなあ、と。

 

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