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マウイ島、最後の製糖工場

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Maui’s Last Sugar Plantation

製糖工場

シュガーミル、ちょっと甘い響きの言葉ですが、サトウキビからお砂糖を作る製糖工場の事。ハワイでは、製糖場(せいとうば)とも呼ばれてきました。

 

かつてハワイ州各地にあったシュガーミル、何年も続いてきた工場から、もくもくと出る煙は、オアフ島、カウアイ島、ハワイ島、そしてマウイ島でも、遠くから見ることができました。数マイル付近に近づくと、工場の回りはコッテリと独特の甘い匂いが、漂っていたものでした。

 

150年以上、ハワイ州の主要産業の一つであり、どの島にも広く栽培されていたサトウキビ、そしてその精製に従事したシュガーミルは、80年代あたりから、一軒、また一軒と閉鎖されていきました。経費が掛かりすぎ、フロリダ州やルイジアナ州など米国内の競争相手、さらにブラジルなど諸外国との競争にも、太刀打ちできなくなってきてしまったからだと言います。ハワイからの輸送費も馬鹿になりません。

 

今では、とうとうマウイ島中央、プウネネ工場を残すのみとなってしまいました。そして、最後の工場も、今年の12月をもって、ついに永久閉鎖されることになりました。

 

「私のお爺さんは、フィリピンのルソン島から来たサトウキビ畑の労働者だったのよ」と教えてくれたのは、製糖工場内にあるアレクサンダー&ボールドウィン砂糖博物館の受付をしているRさん。彼女自身、博物館ができてから20数年もここで勤めてきたと言います。

 

sugarmill2

 

「工場では何百人もレイオフされて、あと残っているのは300人くらい。せめて博物館だけでも残したいけど、資金もあまりないし、どうなるのか。」

お土産に売るハワイの民芸品を作りながら、ぽつりぽつりと話してくれたRさんの表情は、「レイオフされても行くところがないの」と、寂しそうなものでした。

 

ハワイの砂糖産業は19世紀の後半から急激に発展しました。ハワイで生まれた宣教師の子孫たちは、ハワイの土地、気候、灌漑水、安い労働力を利用して、一大産業を築き上げます。ハワイで5財閥と呼ばれる人たちです。最後の製糖工場の創始者たちであるサミュエル・アレクサンダーとヘンリー・ボールドウィンも、マウイ島で育った宣教師家庭の幼馴染で、青年になってからビジネスパートナーになった二人です。ハワイ王国は、アメリカと(当時はアメリカとハワイは一応別の国でしたから)ハワイ産の砂糖を無関税で本土に輸出してもよいという互恵条約を取り交わし、ハワイからの砂糖は急激に需要を増していきます。

 

その需要に追いつくため、ハワイの現地の労働者だけでは足らず、中国、日本、韓国、フィリピンなどから、何万人もの労働者が、短期間に集められました。そして厳しく過酷なサトウキビ畑の労働に従事しました。日本からも明治大正昭和の時代に渡って、実に20万人がハワイにサトウキビ労働者としてやってきたと言います。ハワイの砂糖産業の最盛期です。

 

sugarmill3

 

どこのスーパーでも普通に売っているピンクと白の箱入りC&Hのお砂糖は、カリフォルニア&ハワイの略です。これはアレクサンダー&ボールドウィン社が長年製糖をして市場に卸してきたものだったんですね。(注:2005年にA&B社の株はフロリダ州ベースのアメリカン製糖社に買収されています)

 

排水や煙による環境汚染、膨大な水の必要性、労働組合の問題など山積みの問題を抱え、息を切らせながらも何とかやってきたハワイの砂糖産業。お砂糖自体も、最近のヘルシー志向の風潮では、やや肩身が狭い。斜陽期の最期は、マウイ島の夕日に伸びる煙突の影のように、悲しみをそそります。多くの人たちが、時間と労働力をかけたサトウキビ畑と砂糖産業、シュガーミルが、マウイの空に切なく煙を吹き上げる時間も、あと数週間になってしまいました。

 

アレクサンダー&ボールドウィン砂糖博物館

Alexander & Baldwin
Sugar Museum
P.O. Box 125
Puunene, Hawaii 96784

Telephone:
808-871-8058

Photos: http://www.sugarmuseum.com/

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