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ビッグ・アイランドのヒロ:おばあちゃん家のような町

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Hilo, Big Island

 

「オアフに来る前は、ヒロに数年住んでいました」と言うと、「ヒロでしたかあ」とローカルの人達の目が、ちょっと和みます。それは、どうしてなんだろうと思っていました。

ハワイ島、通称ビッグアイランドは、活火山や天文台のスバル望遠鏡、壮大な自然、そして、最近では、パワースポットの多い癒し系の島として知られた場所です。しかし、意外に知られていないのが、その中心地であるヒロ市が、ハワイの第2の港湾都市、そして日系アメリカ人がマジョリティを占める町であるという事実です。実はこういう私も、ヒロ移住の前はほとんどヒロのことを知りませんでした。

 

ヒロ市はハワイ島の中では、雨量の多い東部に位置します。飛行機から見ると、マウナケア山とマウナロア山に囲まれて、こじんまりとした集落が、懐かしい雰囲気をもっている町だと思います。人間ではなく自然が中心、人間は住まわせていただいているんだなと思わせる場所です。ヒロは、熱帯性暴風雨、津波なども多いことでも知られています。町の中心から数ブロック歩くと、熱帯雨林に囲まれた清流が、大小の滝を作り、子供の体より大きな熱帯樹の葉や咲き乱れる原色の花々が、いたるところに見られます。雨はシアトルより多く降るので、街ゆく人はフードをさっとかぶるだけ。コケ類、カビ類、シダ類も豊富です。

 

ヒロの全人口はやっと5万人に満たない程度ですから、もちろん全体数の違いがありますが、住民に日系人が最大数という点では、ホノルルを凌駕します。つまりアメリカの中で、ただ一か所、日系人が大多数を占める町だったんですね。かつてヒロのワイアケア地区には、「新町」と「椰子島町」と呼ばれていた二か所の日本人集落がありました。1946年と1960年に襲った大津波によって、二つの集落は壊滅的な被害にあい、波にさらわれてしまったのだそうです。その後地は、公園やゴルフ場などとなって、安全上の理由から住居は作ることができなくなりました。再建が何度かあった町ではありますが、ノスタルジアの雰囲気はそのまま、1920年代に建てられたさびれたアールデコ風の建物は、映画のロケーションのようです。

 

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ハワイの各地域に移民となってやってきた日本人農場労働者達は、ビッグアイランドに留まりましたが、子供や孫の世代は、大学、就職、結婚などを機に、次々にヒロを出て行ってしまいました。自分達のした過酷な労働ではなく、子供には医者や弁護士などホワイトカラーの仕事に就かせたかった親たちは、寂しさを乗り越えて子供たちを島の外に出しました。親の期待を背負って、「休みには帰って来いよ~」というおばあちゃんの声を後ろに、彼らはホノルルを始め、カリフォルニアなどの本土に渡っていったのです。

 

その子孫たちも、盆暮れには里に帰郷した日本人の習慣通り、クリスマスや年末に、ヒロの実家に集まって、ナマスやニシメなど「おふくろの味」を楽しみます。子供の頃踊った盆ダンスに行ったり、ソーメンサラダ、チラシなどのご馳走に舌鼓をうったのでしょう。人種を超えた結婚をした家族は、韓国キムチを持ち寄ったり、ポルトガル移民製のマラサダや、ハワイアンのアヒポケを作ったり、子供の頃から習っていたウクレレでハワイや日本の歌を歌ったり。だから、ヒロは日系人の心の故郷なんですねえ。「ヒロ」という町の響きには、苦労をしてコーヒー農園やサトウキビ畑で生活を築いたおばあちゃんの世代のノスタルジアが含まれていたのです。

 

日系人や日本人の血を引くハワイのローカル達にとって、ヒロに行くという表現の中には、「故郷に帰る」という響きが込められています。盆暮れになると、行きはホノルルから有名店のお土産を下げて、帰りにはおばあちゃんたちがこしらえてくれた手作り料理を携えて、島間の飛行機は、ハワイの帰省客でいっぱいになります。

 

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Photo contributed by Hiromi Beck

参考:「失われたハワイ島ヒロ市の日本人移民町」岡山大学吉田裕美http://jaila.org/journal/articles/vol001_2015/j001_2015_083_a.pdf

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