ハワイの入れ墨
ハワイでは、体に入れ墨した人によく会います。
レイでもかけたように首の回りにぐるりと彫っている人、ふくらはぎや腿に点々とした模様を入れている人、こじんまりと足首に亀やイルカの彫り物のある女性、肩から上腕にかけて精巧な文様を入れている男性など、褐色の肌にそれはとてもよく映えて、私が今までもっていた刺青に対する文化的な偏見を払拭してくれるものです。
普通の(というとすでに私の偏見を暴露していますが)、その辺を歩いているお兄さん、お姉さん達が、思い思いの入れ墨をしています。それにハワイはビーチにいくし、肌露出の機会が多いですよね。ジャケット着たり、ネクタイなんかしている社会と違って、入れ墨がよく見えちゃう。ショーツからはみ出て見えたり、アロハシャツの前からちらりだったり、堂々とふくらはぎに文字がならんでいたり。いや時には顔の半分が入れ墨に覆われている人もいて。あんまりじろじろ見ては失礼かなあとは思っていましたが、入れ墨をしている方たちによると、誇りに思っている入れ墨は、じっと見てもよろしいんだそうです。
Cさんの入れ墨を、始めて見せてもらったのは数年前。ピラミッドのような形はニホマヌという鮫歯、海鳥を抽象化したデザイン、カヌーの穂先をかたどったもの、そしてシダの葉、Cさんの体には南太平洋が、文字通り息づいています。Cさんはハワイをこよなく愛し東海岸から移住してきたアメリカ人ですが、少年の頃から入れ墨に魅せられてきたそうです。原体験は父親がかつての戦地だったパゴパゴ島から持って帰ってきた一枚の写真。そこには奇怪な文様を刻んだ南太平洋の男女が写っていました。
かつては人の骨を鋭く研ぎ澄まし、それを槌のようなものに付けて、お祈りやチャントをキチンとしてから、入れ墨が行われました。彫り師がトトトトーンという具合にリズミカルに体に墨を入れ込んでいったのです。さぞ痛かったことでしょうが、それも文化の一部です。その痛みに耐えられないようではポリネシア人としては失格。ポリネシア語では入れ墨のことをタタタウ、サモア語でもすごく似ていてタタウというそうで、英語のtattooというのは、この「トトトーン」から発生した擬声語「タタタウ」に語源を発しているようです。南太平洋の男性たちにとっては、入れ墨を入れること自体が一つの通過儀礼でした。
日本にも世界中にもある入れ墨の伝統ですが、古代エジプトでもなんと入れ墨を入れたミイラが見つかったとか。ミイラ化してから入れ墨を入れたらしいという記述もありました。太平洋諸国においての入れ墨も、単なる体のアートという以上の、文化的歴史的深い意味があるのです。体に墨を入れるという行為は、自分のルーツとアイデンティティを示す大切なものだったのです。Cさんによると入れ墨は、入れ墨ショップでチョコチョコとする軽々しいものではないと言います。
肌に文様を入れるということは、その文様にまつわる長い伝統や歴史が自分の体の一部になるということです。しっかりと文化をわきまえた伝統アーティスト、クム(先生)に「肌を任せる」ということで、それはその文様を肌に入れ込んできた先祖と一体となるという意味があります。Cさんは、アメリカのあちこちの「入れ墨コンベンション」に参加してリサーチをしました。最終的にCさんに墨を入れてくれたのは、ポリネシア文化を継承するニュージーランド人の入れ墨師トレバー・マーシャルさん。毎週4時間一年間をかけぺイアと呼ばれるウエストから膝までの入れ墨をいれました。Cさんにとっては一回に4時間が限度、「入れ墨された部分は毎回火が燃えているようだった」という激痛を経て完成した入れ墨。マーシャルさんの奥さんで写真家のジャン・シーガーさんが芸術的な作品として残してくれました。
「技術や衛生面はもちろん、芸術性文化も大切。でも僕にとって一番強烈だったのは、入れ墨をしていく過程そのものだった。」1万2千ドルをかけたというCさんの入れ墨、二度と体験できないスピリチュアルな体験であったという事です。
参考:http://oceanictatau.com/index.html
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